気づけば、アメリカから帰ってきてもう12年。今は、羽咋でさつまいもを育て、焼き芋屋をしている。アメリカにいた頃、学校で環境学や食についてよく勉強し、仲間とフードロスの問題やオーガニック食品のことをよく議論していた。学生時代はお金がなく、オーガニックではない肉がどうしても嫌になり、1年ほどベジタリアンの生活もした。アメリカにいる間に、日本の農薬事情や食の危うさを知ることにもなった。そこで、日本に帰国したら自分の食べるものは自分で自給しようと、心に決めた。帰国後は、日本中を転々とバイトをしながら、北は北海道から南は沖縄まで、自分の場所を探して回った。ちょうど富山県・立山の山小屋のシーズン仕事を終え、夏になって石川県に戻ったタイミングで、友達の紹介で2ヶ月だけトマトの収穫のバイトをした。そこで知り合ったトマト農家の安田健吾さんから、農業の素晴らしさを教わった。健吾さんもサーファーであり、農家でもあった。自分より先に、サーファーマーとして生活をしていた人だった。健吾さんのライフスタイルはこうだった。北陸は、夏は波がないが、農業に集中できる。冬は農業はあまりできないが、波乗りはできる。春から秋までは農業に、秋から冬は波乗りに。一年を通して、これほど充実した日々の送り方があるのかと思った。自分も帰国した当初は、太平洋の方に行こうか考えていた。しかし原発のこともあるし、あまり海に入りたくないという思いもあって、太平洋方面での生活はなかなか考えにくかった。しかし、健吾さんのライフスタイルを聞いて、北陸でサーフィンと農業をしようと決意した。そこから金沢に借家を借り、庭でニンニクと玉ねぎを、その後は冬野菜や夏野菜も育てるようになった。アメリカ生活が長く四季の感覚が薄れていた分、日本の季節に応じた野菜作りは新鮮で、とても面白かった。ブライダル会社に勤めながら、1年間の家庭菜園。次第に「お米も作りたい」「いつか田舎の海の近くで、サーファーマーとして暮らしたい」という思いが強くなっていった。ちょうど借りていた家の契約が終わる頃、羽咋市の空き家バンクで、海の近く・家賃1ヶ月1万5000円の家をたまたま見つけた。自分は良かったのだが、嫁は普通にOLをしていたし、汚い古民家に住めるかどうか不安だった。嫁も最初は「こんなところ住めるの?」というくらい反発していたが、少しずつ家をDIYで整え、OLの仕事も辞めて、近くのいちご農園で働くことになった。移住して1年後には、地元のおじさんと仲良くなり、田んぼを借りて、お米を育て始めた。アメリカで感じた食への違和感も、健吾さんが見せてくれた生き方も、たまたま見つけた1万5000円の家も。どれも自分では選んだつもりのない偶然だった。でも今振り返ると、そのすべてが、今この土に向き合うための道だったのだと思う。さつまいもも、米も、これから育てるものも。自分の手で、自分の食べるものを作る。それが、あの頃アメリカで心に決めたことへの、今の自分なりの答えだ。こちらが羽咋市柴垣町に移住したときの映像です!! ↓↓↓%3Ciframe%20width%3D%22560%22%20height%3D%22315%22%20src%3D%22https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fembed%2FCcTAIJLfDLI%3Fsi%3DgfYyyDZ6QgtxLajK%22%20title%3D%22YouTube%20video%20player%22%20frameborder%3D%220%22%20allow%3D%22accelerometer%3B%20autoplay%3B%20clipboard-write%3B%20encrypted-media%3B%20gyroscope%3B%20picture-in-picture%3B%20web-share%22%20referrerpolicy%3D%22strict-origin-when-cross-origin%22%20allowfullscreen%3E%3C%2Fiframe%3E